過去の研究紹介[1992~1995]

『中枢神経系の可塑性(2)』

渡辺が1992年から1995年にかけて、村上富士夫先生及び大平敦彦先生の下でおこなった研究をご紹介します。

可塑性という言葉があります。

粘土を思い浮かべてください。四角い立方体の粘土です。指で突きます。少し凹みができます。凹みは元に戻りません。これが可塑性です。変化はできるけれど不可逆。これが可塑性です。中枢神経系の最大の特徴の一つと言っても過言ではありません。

脳はいろんなことを学習することができます。この学習は中枢神経系の可塑性を基盤にしています。脳はいろんなことを不可逆の過程で学習していくのです。

研究紹介[1986~1992]でご紹介したオリゴデンドロサイトの抑制作用も、脳の可塑性のメカニズムのひとつと考えることができます。神経情報の伝導路である軸索の分岐や成長を抑制することで学習が終えた神経回路を巧みに固定していきます。

中枢神経系にはもう一つ特徴的なグリア細胞があります。アストロサイトです。

アストロサイトもオリゴデンドロサイトと同じく、中枢神経系に特異的なグリア細胞です。アストロサイトは、神経細胞の軸索だけではなく、細胞体及び樹状突起の周囲にもビッシリと存在します。絶縁作用というオリゴデンドロサイトのような具体的な機能は、アストロサイトにはありませんが、主として神経細胞にエネルギーや酸素の供給などを行っていると一般的には考えられています。

実はこのアストロサイトも中枢神経系の可塑性制御に巧みに関わっていることが分かってきました。
私たちは、一部の神経細胞(大脳皮質で約20~30%程度)は、非常に特殊なアストロサイトの足で取り囲まれていることを見いだしました。これは現在では、Perineuronal netと呼ばれる構造体です。Perineuronal netの主成分が神経突起伸長に抑制的に働くことが知られているコンドロイチン硫酸で構成されていることから、上述したミエリン鞘と同じく完成したある特定の回路を固定しているものと思われます。Perineuronal netは、脳の可塑性が失われる時期から出現するという事実も、この可能性を強く支持します。またPerineuronal netは、神経細胞の活動に依存して、その発現が制御されていることが示されています。

まだ確実なことは言えませんが、神経細胞を取り囲んでいるアストロサイトはまるで粘土のように、学習した神経細胞の回路網の可塑性を支えているのかもしれません。


【参考文献】
Matsui, F., Nishizuka, M., Yasuda, Y., Aono, S., Watanabe, E. and Oohira, A., Occurrence of an N-terminal proteolytic fragment of neurocan, not a C-terminal half, in a perineuronal net in the adult rat cerebrum, Brain Research 790, 45-51 (1998)


Yasuda, Y., Tokita, Y., Aono, S., Matsui, F., Ono, T., Sonta, S., Watanabe, E., Nakanishi, Y. and Oohira, A., Cloning and chromosomal mapping of the human gene of neuroglycan C (NGC), a neuronal transmembrane chondroitin sulfate proteoglycan with an EGF module, Neuroscience Research 32, 313-322 (1998)


Katoh-Semba, R., Matsuda, M., Watanabe, E., Maeda, N. and Oohira, A., Two types of brain chondroitin sulfate proteoglycan: their distribution and possible functions in the rat embryo., Neuroscience Research 31, 273-282 (1998)


Watanabe, E., Matsui, F., Keino, H., Ono, K., Kushima, Y., Noda, M. and Oohira, A., A membrane-bound heparan sulfate proteoglycan that is transiently expressed on growing axons in the rat brain, Journal of Neuroscience Research 44,84-96 (1996)


Watanabe, E., Maeda, N., Matsui, F., Kushima, Y., Noda, M. and Oohira, A., Neuroglycan C, a novel membrane-spanning chondroitin sulfate proteoglycan that is restricted to the brain., Journal of Biological Chemistry 270, 26876-26882 (1995)


Watanabe, E., Aono, S., Matsui, F., Yamada, Y., Naruse, I. and Oohira, A., Distribution of a brain-specific proteoglycan, neurocan, and the corresponding mRNA during the formation of barrels in the rat somatosensory cortex, European Journal of Neuroscience 7, 547-554 (1995)


Oohira, A., Kushima, Y., Matsui, F. and Watanabe, E., Detection of alzheimer's beta-amyloid precursor related prteins bearing chondroitin sulfate both in the juvenile rat brain and in the conditioned medium of primary cultured astrocytes, Neuroscience Letters 189, 25-28 (1995)


Oohira, A., Katoh-Semba, R., Watanabe, E. and Matsui, F., Brain development and multiple molecular species of proteoglycan, Neuroscience Research 20, 195-207 (1994)


Matsui, F., Watanabe, E. and Oohira, A., Immunological identification of two proteoglycan fragments derived from neurocan, a brain-specific chondroitin sulfate proteoglycan, Neurochemistry International 25, 425-431 (1994)


Watanabe, E., Fujita, S.C., Murakami, F., Hayashi, M. and Matsumura, M., A monoclonal antibody identifies a novel epitope surrounding a subpopulation of the mammalian central neurons, Neuroscience 29, 645-657 (1989)



脳に発現しているコンドロイチン硫酸プロテオグリカン(473プロテオグリカン)の抗体によって蛍光染色(緑色)した顕微鏡像。組織はサル(成獣)の大脳皮質。この視野内には100個前後の神経細胞が存在するがコンドロイチン硫酸鎖を纏っている神経細胞はたったの2個だけです。蛍光像をよく見ると顆粒状に見えます。この粒と粒の間にシナプスが収まっています。

コンドロイチン硫酸プロテオグリカンの一つであるニューロカンのラットの生後発達期における大脳皮質での分布。染色した大脳皮質の領域は体性感覚野で、特にこの領域はヒゲからの感覚入力を受けている部位です。ラットの顔にあるメインのヒゲは五列あり、その五列の配列がコンドロイチン硫酸プロテオグリカンの発現によって浮き彫りになっています。写真の一つ一つの四角は、ラットの一つ一つのヒゲに対応しています。この発達期に発現しているコンドロイチン硫酸プロテオグリカンは、神経活動の盛んな領域から消失していきます。

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